コラム

2026.08.24

3要領・指針の改訂に学ぶ、ドキュメンテーションをベースとした保育計画

幼稚園教育要領、保育所保育指針、幼保連携型認定こども園教育・保育要領、いわゆる「3要領・指針」の改訂に向けた議論が進んでいます。

改訂と聞くと、「新しく何をしなければならないのか」「計画や書類はどう変わるのか」と気になる方も多いでしょう。

しかし、今回の議論を読み込んでいくと、単に新しい項目が追加されるという話ではないことが見えてきます。

むしろ問われているのは、もっと根本的なことです。

私たちは、何を出発点に保育を考えているのか。

活動でしょうか。
年間計画でしょうか。
月案や週案でしょうか。
それとも、目の前にいるこどもの姿でしょうか。

今回の3要領・指針の改訂議論は、この「保育の出発点」を改めて問い直しているように思います。

今回の改訂は、幼児教育だけの話ではない

まず押さえておきたいのは、今回の3要領・指針の改訂が、幼児教育だけで独立して行われているものではないということです。

現在進められているのは、幼稚園から小学校、中学校、高等学校までを含めた教育課程全体の見直しです。

次期学習指導要領の検討では、

「主体的・対話的で深い学び」の実装、多様性の包摂、実現可能性の確保

という三つの方向性が示されています。

そして、その全体を表す言葉が、

「多様な子供たちの『深い学び』を確かなものに」

です。

さらに注目したいのが、次期学習指導要領の議論の中で、

「『好き』を育み、『得意』を伸ばす」

という方向が明確に示されていることです。

一人ひとりの興味・関心を育み、得意なことを伸ばし、それらを学び全体への動機付けにつなげていこうという考え方です。

これは単に、「好きなことだけをさせればよい」という意味ではありません。

「やってみたい」
「もっと知りたい」
「なぜだろう」
「もう一度試してみたい」

という内側から生まれる動機を、学びの原動力として大切にするということです。

学校教育ではこれまで以上に、「教師が何を教えたか」ではなく、「子供が何に関心をもち、何を考え、どのように学びを深めているのか」という側から教育を捉え直そうとしています。

実はこの発想は、幼児教育にとって特別に新しいものではありません。

幼児教育では以前から、こどもの興味や関心を出発点に、環境との関わりや遊びを通して学ぶことを大切にしてきたからです。

だからこそ今回の改訂は、幼児教育を小学校の準備段階として位置付け直すものではなく、むしろ幼児教育が大切にしてきた学びの在り方を、0歳から18歳までの教育全体の中で捉え直す動きとして読むことができます。

好きを育み、得意を伸ばす

出典:文部科学省 教育課程企画特別部会 論点整理 (令和7年9月25日)

「小学校の準備」ではなく、0歳から続く学び

幼児教育ワーキンググループ・保育専門委員会の資料には、

「0歳から18歳までの『学び』を見通した内容の改善」

という言葉があります。

園生活の中で、乳幼児が遊びを通して自らの「好き」や「得意」を見つけ、広げ、深めながら、直接的・具体的な体験を積み重ねること。それが、小学校以降の生活や学習の基盤となる資質・能力につながっていくと整理されています。

ここで大切なのは、「小学校で困らないように、幼児期に準備しておこう」という発想ではないことです。

幼児期の遊びそのものに、すでに学びがある。

その学びが姿を変えながら、小学校、中学校、高校へと続いていく。

そう捉えています。

例えば、園庭でこどもたちが水を流して遊んでいるとします。

「こっちに流したいのに、違う方へ行っちゃう」

一人が土を掘る。

別の子が板を持ってくる。

「もっと高くしたら?」

水を流す。

失敗する。

「こっちをふさいだら?」

また試してみる。

そこでは、水の性質について気付いたり、結果を予測したり、試したり、友達の考えを聞いたり、自分の考えを伝えたりしています。

誰かが「今日は水の性質を学習しましょう」と教えたわけではありません。

しかし、確かに学んでいます。

今回の資料では、自発的な活動としての遊びが資質・能力の育成へとつながっていく過程を、「遊びの深まり」という言葉で捉えています。

あだちみどり幼稚園のASOBIO

「好き」が、遊びを深めていく

ここで、先ほどの学習指導要領の「『好き』を育み、『得意』を伸ばす」という考え方と、幼児教育がつながります。

幼児教育資料にも、「好き」や「得意」を見つけ、広げ、深めることが、遊びの深まりと結び付いて示されています。

「面白そう」
「なんでだろう」
「やってみたい」
「もっとやりたい」
「試してみよう」

こうした心の動きがあるから、こどもは環境に関わり続けます。

関わり続けるから、気付きが生まれる。

試行錯誤が起こる。

友達とのやり取りが生まれる。

そして、遊びが深まっていく。

つまり、「好き」は学びの入り口というだけではありません。

学びを持続させ、深めていくエネルギーでもあるのです。

この点は、幼児教育と小学校以降をつなぐ上で、とても重要ではないでしょうか。

遊びの深まりのイメージ

出典:文部科学省 幼児教育WG・保育専門委員会 取りまとめ(案)(令和8年6月5日)

では、保育者は何をするのか

ここで一つ疑問が生まれます。

こどもが主体的に遊び、その中で学んでいくのであれば、保育者はただ見守ればいいのでしょうか。

もちろん、そうではありません。

今回の資料が興味深いのは、「こどもの主体性」と「保育者の教育的意図」を対立させていないことです。

資料には、3つの視点・5つの領域に示される「ねらい」を、実践を構想する際に環境構成や援助へ込める教育的意図として位置付ける一方で、その環境や援助は「乳幼児の姿」を捉えながら考えるものだと示されています。

つまり、保育者には意図がある。

しかし、その意図通りにこどもを動かすわけではない。

ここに、保育計画の本質があります。

計画は「予定表」ではなく、「仮説」である

私たちは「保育計画」という言葉から、どうしても未来をあらかじめ決めるものを連想します。

年間計画があり、月案があり、週案があり、日案がある。

そこに活動を書き込み、

「月曜日は制作」
「火曜日は運動遊び」
「水曜日は散歩」

と予定を立てる。

もちろん、生活の見通しを持つための予定は必要です。

しかし、保育計画の本質まで「予定」にしてしまうと、少し危うくなります。

なぜなら、こどもの遊びは予定通りには進まないからです。

先ほどの水遊びで考えてみます。

保育者は、

「最近、水を流すことを楽しんでいる。高低差にも気付き始めているようだ。明日は長い樋や板を出してみたら、遊びがもっと広がるのではないか」

と考えるかもしれません。

これは立派な計画です。

けれども翌日、こどもたちは樋を水路には使わず、斜めに立ててボールを転がし始めるかもしれません。

そのとき、

「水遊びに使ってほしかったのに」

と予定に戻そうとするのか。

それとも、

「なるほど。今日は転がることに興味が向いたのか」

と捉え直すのか。

後者であれば、

「違う長さの樋を置いたらどうなるだろう」

「坂の角度を変えられるようにしたらどうだろう」

と、次の環境を考えることができます。

このときの計画は、「明日は○○をさせる」という指示書ではありません。

「この環境があれば、こんな経験が広がるのではないか」という保育者の仮説です。

そして、その仮説に対して、こどもが姿で応答する。

その姿を見て、保育者がまた考える。

保育とは、この往還なのではないでしょうか。

「計画→実践→評価」という一方向ではない

今回の資料では、この関係が非常に分かりやすく図示されています。

長期の指導計画があり、その中で短期の指導計画を立てる。

実践する。

しかし、そこで終わりではありません。

乳幼児の姿を記録し、

「乳幼児の実態や発達の理解は適切だったか」
「設定したねらいや内容は、実際の乳幼児の姿に照らして適切だったか」
「環境構成は適切だったか」
「必要な援助は行われていたか」

と振り返る。

そこから、ねらいや内容を修正し、環境を再構成し、援助を改善して、再び実践へ戻っていく構造になっています。

注目したいのは、この図の中心に何度も「乳幼児理解」という言葉が置かれていることです。

計画のためにこどもを見るのではありません。

実践の途中でも見る。

評価するときにも見る。

改善するときにも見る。

つまり、

計画―実践―評価―改善というサイクル全体を動かしているのが、乳幼児理解なのです。

出典:文部科学省 幼児教育WG・保育専門委員会 取りまとめ(案)(令和8年6月5日)

ドキュメンテーションは「計画の後」にあるのではない

ここで、ドキュメンテーションの意味が変わってきます。

一般にドキュメンテーションというと、

「今日こんな活動をしました」

という保育後の記録として捉えられがちです。

写真を選び、文章を書き、掲示する。

あるいは保護者へ配信する。

もちろん、それも一つの役割です。

しかし、今回の改訂議論から考えると、ドキュメンテーションにはもっと重要な役割があります。

それは、次の保育を考えることです。

園生活で見られる乳幼児の具体的な姿を日頃から記録し蓄積するとともに、記録を基に自身の指導を振り返り、同僚と共有して、多様な視点から捉え直すことが重要だとされています。

例えば、一枚の写真があります。

一人のこどもが、友達の遊びを少し離れたところから見ています。

その場だけを見ると、

「まだ一緒に遊べていない」

と評価してしまうかもしれません。

しかし、一週間前の写真を見ると、もっと遠くから見ていた。

三日前には近くまで来ていた。

今日は友達が使っている道具と同じものを手に持っている。

そうした記録を並べると、

「参加できていない」

ではなく、

「この子なりに、友達の世界へ近づこうとしている」

という姿が見えてくるかもしれません。

すると、明日の援助も変わります。

「一緒に遊びなさい」と促すのではなく、

同じ素材を少し多めに用意しておこう。

近くで自然に遊べる環境をつくろう。

そんな計画になるかもしれません。

つまり、ドキュメンテーションとは、

出来事を残すものではなく、出来事の意味を考えるもの

なのです。

記録は「事実」だが、見取りは「解釈」である

写真を撮れば、自動的にこども理解が深まるわけではありません。

写真に写っているのは事実の一部です。

そこから、

「この子は何を考えていたのだろう」
「なぜこの行動をしたのだろう」
「ここにはどんな学びがあるのだろう」

と意味付けするのは、保育者です。

だから、一人の解釈だけで決めないことも重要です。

資料でも、管理職や同僚、他園の先生、幼児教育アドバイザーなどと対話しながら、乳幼児を多面的に捉えたり、捉え直したりすることの重要性が示されています。

「私はこう見えた」

「私は違って見えた」

「昨日の姿を考えると、こうかもしれない」

この対話によって、こどもの見方が更新されます。

だからドキュメンテーションは、単なる記録ではなく、対話を生む媒介でもあります。

「ねらい」は、こどもを当てはめるチェックリストではない

このことは、「5領域」や「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」の使い方にも関係します。

今回の改訂議論では、「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」の活用に重点が置かれすぎ、本来の実践の構想につながりにくいという課題も指摘されています。

大切なのは、

「この姿は協同性」
「これは思考力の芽生え」

とラベルを貼ることではありません。

まず、目の前のこどもの姿がある。

「何を面白がっていたのだろう」

「何を試していたのだろう」

「友達との関係に何が起きたのだろう」

と考える。

その上で3つの視点や5つの領域、育みたい資質・能力を手掛かりに、

「あの姿には、こういう意味もあったのではないか」

と見方を豊かにする。

要領・指針は、こどもを分類するための物差しではなく、

保育者がこどもの姿をより深く見るためのレンズ

と考えた方がよいのではないでしょうか。

計画とは、「大人が決めること」と「こどもに任せること」の中間にある

「こども主体の保育」という言葉が広がる中で、ときどき、

「こども主体なら、保育者は何も決めない方がいい」

という誤解も生まれます。

しかし今回の資料を見る限り、目指されているのはそうではありません。

乳幼児の姿から遊びの中の「学び」を見取ることと、3つの視点・5つの領域に基づく教育的意図とが、循環する形で描かれています。

こどもの姿を見る。

保育者が考える。

環境をつくる。

こどもがその環境に出会う。

予想したことも起きる。

予想外のことも起きる。

その姿をまた見る。

そしてまた考える。

つまり、

こどもの主体性と保育者の専門性は、どちらか一方を弱くすると成り立つものではありません。

こどもが主体であるからこそ、保育者には高い専門性が必要なのです。

ところで、改訂はいつから始まるのか

では、この改訂はいつ実施されるのでしょうか。

現在示されているスケジュールでは、2026年夏ごろに教育課程部会の「審議まとめ」、冬ごろに中央教育審議会の答申、その後、年度末を目途に学習指導要領等の改訂が予定されています。ただし、今後変更の可能性がある「イメージ」として示されている段階です。

全面実施の想定は、

幼稚園等が2028年度、
小学校が2030年度、
中学校が2031年度、
高等学校が2032年度入学生から順次実施、

となっています。

こう見ると、「まだ数年先の話」と感じるかもしれません。

しかし、今回議論されていることの多くは、改訂の日を待たなければ始められないものではありません。

こどもの姿を見る。

記録する。

同僚と語る。

そこから翌日の環境を考える。

これらは、今日から始めることができます。

むしろ、制度が変わる前に、日々の保育の見方を少しずつ変えていくことの方が大切なのかもしれません。

「月案を書くこと」が計画ではない

ここまで考えると、保育計画そのもののイメージも変わってきます。

年間指導計画、月案、週案、日案。

これらはもちろん必要です。

しかし、書式を埋めることが「計画」なのではありません。

本当の計画は、

今日のこどもの姿から、明日の環境や援助を考えること

の中にあります。

月案を月末に作って終わりではなく、

「この遊びがこんなふうに変化してきた」

「この子たちの関係が変わってきた」

「だったら来週は環境をこう変えてみよう」

と更新されていく。

そう考えると、ドキュメンテーションと指導計画は別々の業務ではありません。

ドキュメンテーションによって保育計画が更新される。

この関係こそが、これから重要になるのではないでしょうか。

ICTは、記録を増やすためではなく、循環を支えるために

ここで初めてICTの話が出てきます。

ICTを使う理由は、「デジタル化が進んでいるから」ではありません。

今回の資料でも、乳幼児にとって直接的・具体的な体験が重要であり、ICTはその体験を阻害するものではなく、充実させる道具として使うべきだとされています。

一方、保育者による記録については、写真や動画を利用したり、ICTで共有したりすることが効果的だと明記されています。

ここから考えると、保育現場におけるICTの本当の価値は、

「写真がきれいに配信できる」

ことだけではありません。

記録→振り返り→対話→次の計画

という循環を、日常の中で起こしやすくすることにあります。

例えば「おうちえん」に日々の写真や動画が蓄積されていれば、

「この遊び、いつから始まったんだっけ?」

と過去を振り返ることができます。

複数の職員で、

「私はこう見えた」

と同じ姿について語ることもできます。

さらに、その記録を保護者と共有することで、

「今日は○○をしました」

という活動報告ではなく、

「今、この子はこういうことに興味を持ち、こんなことを試しています」

という育ちの共有にもつながります。

つまり、おうちえんはドキュメンテーションを「作るためのICT」というより、

こどもの姿を起点に保育を考え続けるためのインフラ

として考えた方が、本質に近いのだと思います。

出典:文部科学省 幼児教育WG・保育専門委員会 取りまとめ(案)(令和8年6月5日)

改訂を待たなくても、始められる

今回の改訂は、幼児教育にまったく新しい考え方を持ち込もうとしているわけではありません。

こどもの姿を見ること。

その意味を考えること。

環境を工夫すること。

同僚と語り合うこと。

また翌日の姿を見ること。

優れた保育現場では、これまでも行われてきたことです。

しかし今回、それらが改めて、

「遊びの中の学びを見取る」
「記録と振り返り」
「環境の再構成」
「乳幼児理解に基づく評価」

という言葉で、保育の質を高める中心的な仕組みとして整理されようとしています。

だから、改訂を「新しい書類が増える話」として受け取ってしまうのは、少しもったいない。

むしろ、

私たちは本当に、こどもの姿から翌日の保育を考えているだろうか。

そう問い直す機会なのだと思います。

保育計画とは、未来を決めるものではありません。

目の前のこどもの姿から未来を想像し、環境や援助について仮説を立てるもの。

そして、その仮説をこどもの姿によって何度も修正していくもの。

その往還を支えるのが、ドキュメンテーションです。

「計画した通りにできたか」から、
「この姿から、次に何を考えるか」へ。

そして、その出発点にあるのは、

「この子はいま、何が好きなのだろう」
「何をもっとやりたいと思っているのだろう」

と、こどもの姿に問いかけることなのかもしれません。

3要領・指針の改訂が示しているのは、そんな保育計画への転換なのではないでしょうか。


神戸大学大学院 人間発達環境学研究科教授 北野幸子先生から教えていただいた、ドキュメンテーションの作り方やポイントをまとめた冊子を作りました。はじめての先生でも読みやすく、実践しやすい内容です。無料で配布していますので、是非お申し込みください。

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