
コラム
そのドキュメンテーション、「報告」になっていませんか?〜事実のあとに、ひとこと「解釈」を〜
写真も事実も書けている。それでも何かが足りないと感じる先生へ

子どもが夢中になっている写真を選んで、その日にあったことを丁寧に書いた。
でも読み返してみると、なんだか「〜しました」「〜していました」が並ぶだけ。
「これって、おたよりと何が違うんだろう。」
ドキュメンテーションに取り組み始めた園でよく起きるのが、この「報告になってしまう」問題なんです。書けていないわけではない。むしろ、よく見てしっかり書けている。それなのに、子どもの育ちが見えてこない。
この記事では、その理由と、報告をドキュメンテーションに変えるためのひとつのコツをご紹介します。内容は、無料冊子『はじめてのドキュメンテーション』の一部をもとにしています。

足りないのは、事実ではなく「解釈」
報告になってしまうドキュメンテーションには、ひとつの共通点があります。書かれているのが、事実だけなんです。
事実とは、誰が見ても同じように言えること。子どもが言った言葉や、手の動き、起きた出来事です。
解釈とは、それを見た先生が「この子は今、こんなことを考えていたのかもしれない」と読み取ったことです。
事実だけでは、「何があったか」は伝わっても、「その子の中で何が育っているか」までは伝わりません。神戸大学の北野幸子教授は、ドキュメンテーションを「子どもの育ちと学びを可視化する記録」と定義しています。
育ちや学びは、写真にそのまま写るものではありません。
それを見えるようにするのが、先生の解釈なんですね。
解釈を書くのは、ちょっと怖い
では、なぜ事実だけで止まってしまうのでしょう。
「間違った読み取りだったらどうしよう」「主観的だと思われないかな」。
そんな気持ちがあると、確かなことだけを書いておきたくなります。
事実は安全なんです。
丁寧な先生ほど、事実を正確に書くことに力を注いで、解釈の手前で筆を置いてしまうのかもしれません。
でも、解釈に正解はありません。「〜だったのかもしれない」「〜ではないかと感じました」で十分。むしろその一文が、保護者や同僚の先生と子どもについて語り合うきっかけになっていきます。
事実のあとに、ひとこと足してみる
おたよりとドキュメンテーションの違いを表すとき、よく使われるのがこの例です。

「散歩に行きました」は、その日の予定を伝えるお知らせ。
一方の「小さな虫に夢中で20分しゃがみ込んでいた」からは、ひとりの子どもの姿が浮かんできます。散歩という同じ出来事でも、先生がどこを見ていたかで、記録はまったく違うものになるんですね。
ただ、ここでもう一度、下の文章を見てみてください。
「小さな虫に夢中で20分しゃがみ込んでいた」。
どうでしょう。20分という時間の中に、その子なりの「知りたい」が動いていたことが見えてきませんか。
報告からドキュメンテーションへの一歩めは、子どもの姿を事実として書くこと。そして二歩めが、その事実のあとに「この子は何を感じていたんだろう」という問いの答えを、ひとこと足すことなんです。
解釈を書こうとすると、見方が変わる
面白いのは、解釈を書こうと意識すると、保育中の子どもの見え方まで変わってくることです。
「この子は今、何を考えているんだろう」。そう思いながら見ていると、つぶやきや手の止まった瞬間、友だちの様子をうかがう視線に、自然と目がとまるようになるのだとか。
記録のために見るのではなく、見ることがそのまま保育になっていく。ドキュメンテーションの本当の価値は、ここにあるのかもしれません。
解釈を深める4つの視点は、冊子で
「事実と解釈を分けて書く」は、冊子で紹介している「コメントを書く5つのコツ」のひとつめです。

時間の流れの中で育ちの変化をとらえる見方、10の姿とのつなげ方、「できた・できない」から離れてプロセスに目を向ける考え方、そして言葉の選び方ひとつで子どもの姿の見え方が変わる話。
冊子ではさらに、あだちみどり幼稚園の実際のドキュメンテーションを取り上げ、事実と解釈がどう書き分けられているかを読み解いています。
「報告」から一歩進んだ1枚を書いてみたい先生に、ぜひ手に取っていただきたい一冊です。







